婚活支援というのものが、人の善意によって成り立っている。
リーダーズが身銭を切っていることが紛れもなく「性善説」による仕組みだろう。
【私たちの社会の制度の多くに採用されている仕組みと同じように「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。
「性善説」の仕組みは、隙間だらけである。
その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。私利私欲を追求したり、他者を嘲弄することは可能である。】(引用元:民主政の終わり内田樹の研究室 (tatsuru.com))
その隙間を他者を思う善意で満たそうという取り組みである。「個人の資質」に強く依存してしまうという反面、チームの色や形を不定形に変化させ、より婚活者が求める形になっていくだろうと思う。
「他者に興味がある」
そんな人間は、昨今の情勢を踏まえると、まれな人間なのかもしれない。
目の届く範囲にいる気になる彼氏・彼女は、自分の生活の苦しさを考えたら、目につかないかもしれない。逆に、目を反らした結果、他者が見えるかもしれないが、まぁ往々にして見ないものだ。
今、目の前には「自己責任」「個人主義」「自己の利益の追求」が幅を利かせている。日本の支配階層の人間が、メディアを使い大衆に訴えかけて、まるで正しいものかのように思い込ませている。それが結果的に、自身の世界を狭めて、後退させることだと気が付いていない。
同質のもののみが集まって、純度を上げた結果、過度に分化して崩壊する。個々が集まって、個々の利益を考えても集団の利益にはなり得ない。それどころか、集団は苦しくなっていく。
集団の遂行性、教育性、知識や教養や技能というような「金にならない」「分け与えても目減りしないもの」には、興味がなく、目を向ける事すらしない。
それに対して、婚活支援チームは、それぞれが身銭を切ることを原資として「公共」を立ち上げる。
ある一定の範囲に「共有の資源を享受する仕組み(=公共)」ができ上がれば、ネット空間上にお互いの顔の見える「共有地」が発生すると目論んでいる。
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