今回は、婚活支援チーム「ククリヒメ」の根幹を成す“リーダーズ”について、二回に分けてまとめようと思う。
無報酬を成り立たせるために、運営している“リーダーズ”の自己犠牲によって成り立っている。
このことを考えるために以下記事が分かりやすいため、内容をまとめる。
文春オンラインで「僕が死んだあと、私有地も道場も“面倒な”コモンにする」 内田樹が門徒に苦労させるワケ」哲学者 内田 樹氏のインタビュー
最大利益の追及を目指す資本主義にとって、既存の共同体、農村共同体は、利益を阻害する要因だった。
産業革命以前ヨーロッパの農村共同体には、共有地があり、その土地から得る利益を享受していた。しかしながら、生産性は低く、最大利益の追求の観点から見ると劣っている見えた。
そこで、生産性を上げるべく、農村共同体が管理している共有地を分割して個人所有(私有地)にした。
これを「囲い込み」といい、個人所有の土地は、お金のある投資家たち(大資本家)たちに買い上げられる結果になった。
ある者は、自分の土地(自営農)ではなくなり、うわものを作る小作農になり、またある者は、土地を無くし都市に流入する流民プロレタリアートになった。
農村共同体の持っていた相互扶助の仕組み、伝統的な生活文化、祭祀儀礼などが消滅した。
その状況に、声をあげたのが、カール・マルクス。彼が唱えたのが「コミューン主義」になる。
一人の人間には、私利の追求のみを目指す「私人」の面、全員の幸福のために非利己的な「公民」のが併存する。その「公民」の面を増やすことが、世の中を住みやすくする方法だと考えていた。
市民革命によって、封建・絶対主義から解放され近代市民社会を手に入れた。
実現のために、多くの「公民」の犠牲の上に、築かれたものだ。 マルクスは、まず公共の福祉に配慮する人たちがいて、その人たちの努力の成果として、公共の福祉に配慮しないで生活できる社会が実現したと考えた。
また、己の利益よりも公共の福祉のほうを優先的に考えることができる人間を「類的存在」と呼びました。一定数、その「類的存在」がいる社会を作りましょうと唱えた。
common(共有地)の共同体で共同管理することは、私たちに異論と対話して、様々な要求を調整して、合意形成をしていくという市民的な成熟をしていく訓練の場になる。
「生産性が低い」とcommon(共有地)を切り捨てたリアリストたちは、common(共有地)の持つ市民的成熟を促す教育的・遂行的機能に目を当てなかった。
まず「私たち」という幻想的主体の形成が、common(共有地)の複雑な制御に必要になる。
common(共有地)の再構築のため、近代市民社会が始まった時のように個人が身銭を切って「公共」を立ち上げるしかない。みんなが気分よく自由を満喫し、自分のしたいことをできる社会を作るために、自己犠牲的で人々が重労働をしなくてはいけない。
それが私たち、婚活支援チーム「ククリヒメ」になる。
“リーダーズ”は、「公民」の面を持った「類的存在」である。
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