今の婚姻には、恋愛があり、結婚、出産があるという思想が、当たり前の考え方になってから40年余りたった。私たちは、まだその幻想的な思想の中にいる。
「誰しも、適齢期が来たら、自然に相手ができて、自然の流れで恋愛・結婚・出産ができる。今、結婚できていない私は、まだそのタイミングが来ていないだけ。意欲はあるし、自分磨きの努力もしている。まだチャンスが来ていないだけ」
現状とその考え方がズレてきていることを疑いもしない。
個人レベルの意識は、婚活史における1980年代の自由恋愛市場からアップデートされないままである。恋愛の対象以外は結婚相手ではない、恋愛対象こそが結婚相手であるというところに取らわれている。
ポスト自由恋愛としてようやく出てきたのが、恋愛しない自由・結婚しない自由・子供を産まない自由という婚姻しない方向への多様性の広がりがある。
婚姻に行き詰った人たちが考えた自由に向かう思想、「結婚するもしないも自由だから」と言っている。
ポリアモリー・モノアモリーや新しい性については割愛するが、結婚の意思のある者にとっては「うれしくない」方向に向かっている。
多様性に塗りつぶされる形で、結婚の意志ある者を阻む要因になってはいけない。
フィーリングによる「(相手を)即切り」の元凶ではないかと思える。
多くの人が、フィーリングを当たり前の感覚として疑わない。
よく知らないけど、合わなそうだから無理かな、次がいると思うしとすぐに切っていってしまう。
それを本人と一緒に検証して、ふるまいを考えることが婚活支援チーム「ククリヒメ」の一つのテーマと考えています。
最後に人をつなげるのは、恋愛感情のような瞬間的な関係より、愛情が湧く継続的な関係だと思っています。
引用:ロマンティック・ラブ・イデオロギー再考―恋愛研究の視点から―
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